柳ジョージ (やなぎ じょーじ)

楽器 Bass, Guitars, Vocal
コメント 横浜出身のブルース・シンガー。

60年代後半に「パワーハウス」や「ザ・ゴールデン・カップス」、成毛滋の「ジプシー・アイズ」等のベーシストとして、60年代後半のグループ・サウンズ・ムーヴメントのハードな部分を支えていた。
カップス解散後は一時音楽活動を離れていたが、78年に「柳ジョージ&レイニーウッド」で再登場、「雨に泣いてる」「スマイル・オン・ミー〜微笑の法則」等ヒットを飛ばす。82年にソロとなり、現在に至るまで「ブルース・マン」として活動を続けている。

48年1月30日生。横浜出身のB型。 本名:柳譲治 愛称:ジョーちゃん。

中学生の時に「ザ・ヴェンチャーズ」でギターに目覚める。日大付属藤沢高校に進学、ギターを始める。高校2年の時に初めてのバンド「フリーメン」を結成、「ザ・ローリング・ストーンズ」のコピーを中心に演奏する。
66年に日本大学に進学し、やがて「ムー」を結成、横浜界隈のディスコ等で演奏する様になる。
68年に「ムー」に「ベベズ」を解散した陳信輝が参加、やがて竹村栄治も参加し「ベベズ(第二期)」となる。ここまでは柳はギターを担当していたが、68年秋にベーシストの脱退に伴いベースに転向、これが「パワーハウス」となり69年4月に東芝からデビューする。

「パワーハウス」は横浜のブルース・バンドとしてカップスと並び玄人筋には注目される。
カップスの「スーパー・ライヴ・セッション」には陳信輝と共に参加、「ゼンのブルース」でセッションを繰り広げている。
しかしパワーハウスはシブイ選曲でしかやらなかったこともあり、商業的には成功せずにシングル1枚、アルバム1枚を残して70年3月に解散する解散する。 

パワーハウス解散後の柳は日大を卒業、70年9月にケネス伊東の後任としてゴールデン・カップスに参加する(第五期カップス(MarkVI))。
カップスの活動中は並行して成毛滋と「ジプシー・アイズ」というバンドをやっており、「フライド・エッグ」にも時々参加していた。「ストロベリー・パス」の「大鴉が地球にやって来た時」でも一曲だけ参加している。
柳参加後のカップスは、スタジオ録音の「フィフス・ジェネレーション」とライヴ・アルバム「ライヴ!! ザ・ゴールデン・カップス」、そしてシングル「人生は気まぐれ」をリリースして72年1月に解散する。

その後柳は一時就職する等悶々とした生活を送ったが、成毛滋と再会して一緒にロンドンに渡り、そこで再び音楽活動をする決心をする。
帰国後はデイヴ平尾ルイズルイス加部等と「(ニュー)ゴールデン・カップス」として京都のサパークラブ「ママリンゴ」等で昔の曲を演奏(バンド名も「横浜よいどれバンド」や「ママリンゴ」を名乗っていたこともある)、74年の郡山での「ワン・ステップ・フェスティヴァル」にも出演するが、やがてそれもやめてフェルナンデスのギター・クリニックの仕事をする様になる。広島で出会ったアマチュア・バンド「メイフラワー」と意気投合し、やがてこれが「柳ジョージ&レイニー・ウッド」になる(75年4月)。

レイニーウッドも芽が出るまでは時間がかかり、その間「アルバトロス」というバンドのアルバム「テイク・ワン」に1曲だけヴォーカルで参加(後に柳が売れてから「柳ジョージwithアルバトロス」名義で再発^^)、77年にはTVドラマ「祭囃子が聞こえる」の主題歌のヴォーカルに起用された (演奏は井上堯之バンド

柳ジョージ&レイニーウッドは78年2月にメジャーデビュー、アルバム9枚とシングル10枚を残して82年に解散する(レイニーウッドの面々は、速見清司とミッキー吉野を加えて「ブラック・マルロー・バンド」としてショーケン(萩原健一)のバックバンドを担当する。 
柳はコンスタントにソロ活動を続け、現在に至る。

柳ジョージの活動詳細については、ファンサイト 「THE POWER HOUSE.COM」(「STUDIO-G LINK」)参照のこと。

 

Writer/Editor 高崎勇輝
Special Thanks to 「日本ロック紀GS編」黒沢進氏著(シンコー・ミュージック刊)
[日本ロック大系」(白夜書房刊)
「ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ポップス(1955〜1970)黒沢進監修(シンコー・ミュージック刊)
「ロック画報07」(BI PRESS刊)
「THE POWER HOUSE.COM」(「STUDIO-G LINK」

(注) 記載内容に誤りがある場合は管理人であるところの高崎勇輝(studio-g@sound.jp)までご連絡下さい。
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