エディ藩とオリエント・エクスプレス

 

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エディ藩 Guitar, Vocal エディ藩グループ(第四次)から。
ジョン山崎 Keyboards, Vocal エディ藩グループ(第四次)から。
秋山新之助 Bass, Guitar   
ゲーリー渡辺 Drums   
三神茂 Tenor Sax 「サンダーチーフ」から起用。
岡本正 Trombone 「サンダーチーフ」から起用。
荻野公夫 Trumpet 「サンダーチーフ」から起用。
         
エディ藩のリーダーグループ(エディ藩グループの1形態と言える)。
ザ・ゴールデン・カップス解散後はエディ、ジョン山崎アイ高野林恵文の4人でエディ藩グループ(第四次)をやっていたが、ジョン山崎がホーン・セクションを入れたバンドをやってみたいと希望し、ファンク系向けにメンバーをもう一回ピックアップして、「オリエント・エクスプレス」が出来上がった。  

通常のバンド編成(Guiter/Bass/Keyboards/Drums)にホーンズを加えることにより、敬愛するマイク・ブルームフィールドのバンド「エレクトリック・フラッグ」同様R&Bファンクといったスタイルを目指していたものと思われる。
しかし一方で
ロック画報」12号収録のエディのインタビューでは、エディが カップス解散後にサンフランシスコを訪れた際に「ある日、マイク・ブルームフィールドを見に行ったら、もうクスリ漬けで、高校生みたいなバンドと演ってたんだよ。で、もうげんなりしちゃって、飯でも食おうってでかけた。そしたらイタリアン・レストランで売れる前のタワー・オブ・パワーが演っててさ、もうビックリしちゃった」とも語っている。

元々ホーンズを入れたがったのはジョン山崎らしい
カップス解散後、エディ、
ジョン山崎アイ高野林恵文の4人でエディ藩グループ(第四次)をやっていたが、「(略)そしたらしばらくして、山崎がホーン・セクションを入れたバンドをやってみたいって。それでメンバーをもう一回ピックアップしたの。(略)」とエディは「ザ・ゴールデン・カップスのすべて」 (和久井光司編/河出書房新社刊)収録のインタビューで語っている。 

ホーンズの3人はサンダーチーフというバンドに所属していた。
ドラムに起用された
ゲーリー渡辺は、ケネス伊東の義弟で、カップス活動中からのつきあいだった(オリエント・エクスプレスに起用されるまではジャズ・ドラムをやっていた)。  最終的にドラムが彼に落ち着くまでの間、アイ高野が引き続きドラムを担当していた時期もあるらしい(エディ藩グループ(第五次))。

また、上述「ザ・ゴールデン・カップスのすべて」のインタビューで、エディはミッキー吉野もアメリカ留学から帰ると、オリエント・エクスプレスのセッションに参加していたらしい。
74年2月に銀座ヤマハホールで行われたジョイントのチャリティ・コンサートにはこのバンド名で参加している。

74年7月にはアルバム「エディ藩とオリエント・エクスプレス その1」(全曲英語詞)とシングル「9 O'clock」(日本語詞)をリリース、74年8月5日には郡山の「ワンステップ・フェスティヴァル」に出演するが、その後解散する(75年の時点では既に解散していたと思われる)。
にっかつロマンポルノとして75年に製作された「東京エマニエル夫人」
監督:加藤彰)の音楽はエディ藩とオリエント ・エクスプレスが担当している。
この曲は96年にCDがリリースされた「エロチカ狂想曲」( イーストウェスト)というオムニバス・アルバムに収録された。

 

Writer/Editor 高崎勇輝
Special Thanks to: 「Cutie Morning Moon」(「STUDIO-G LINK」
「日本ロック紀GS編」黒沢進氏著(シンコー・ミュージック刊)   
「ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ポップス(1955〜1970)黒沢進監修(シンコー・ミュージック刊)
「ザ・ゴールデン・カップスのすべて」和久井光司編(河出書房新社刊)

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