ジョニー吉長 (じょにーよしなが)
楽器 | Drums, Vocal |
コメント | ロック・ドラマー。 「イエロー」、「ジョニー・ルイス&チャー(
ピンク・クラウド)」等のバンドで活躍した。
本名:吉長信樹(金子信喜と改名した時期もあったらしい)。 49年3月21日生。北九州小倉出身。A型。 65年、神戸でブルース・ロックバンド「チェックメイツ」に参加しデビュー。このバンドは全員ハーフだったそうな(ザ・ゴールデン・カップスも当時そういうふれこみだった^^)。ちなみにジョニーもアメリカン・ハーフとのこと。 同バンド脱退(解散?)後68年に東京へ移り、ジョー山中と「カニバルス」を結成、この時ドラムに転向する。72年12月にカニバルスが解散すると、浅野孝己が在籍していた「エム」の垂水兄弟と共に「イエロー」を結成する。 イエローは74年8月の「郡山ワン・ステップ・フェスティバル」に出演(ミッキーもこれに出演している)、75年4月の「イエロー」と同年12月のライヴ「Vibration」の2枚のアルバムを残した後、76年に解散している。 この頃イーストジャンキーファミリーというメンバーが流動的なユニットを組んでいたという説もある。 イエロー解散後パンタ等とセッションをしていたジョニーにソロ・デビュー予定だったチャーがバンドへの参加を打診したらしいが既にジョー山中と組むことが決まっていたため実現せず、ジョニー、ジョー、篠原信彦等は一時西海岸に渡っていた。 帰国後78年に元スモーキー・メディスンの金子マリ率いる「金子マリとバックス・バニー」に2代目ドラマーとして参加、77年5月にはファースト・ソロ・アルバム「ジョニー」をリリース、続いて78年6月にも「ジョニー・セカンド」をリリースする。 79年には「バックス・バニー」が解散、JL&Cは日比谷野音でフリーコンサートを行い、これを収録したライヴ「Free Spirit」で劇的な復活を遂げる。 同バンドは同バンドは82年に「Pink Cloud(ピンク・クラウド)」と改名するが、80年代後半に活動停止するまで日本屈指のロック・トリオとして高い評価を得る(解散は94年)。 「ピンク・クラウド」在籍中にもソロ活動を並行して行い、解散後も着実にプロジェクトを進め2002年の「JRSM(ジュラズム)」まで11枚のアルバムをリリースしている。 2005年にニュー・アルバムが出るという話もある。 最近では森園勝敏や、昔馴染みのジョー山中(99年の「JJプロジェクト」等)、そして元ツイストの鮫島秀樹、松浦善博らとの「Sons
of Blues」等での活動が挙げられる。 息子二人(長男・暢明、次男・賢輔)もミュージシャンの道を歩んでおり、暢明(統昭と書かれる場合もある)はチャーの息子ジェシー等と「RIZE」を結成、デビューを果たしている。 ジョニーは最近元外道の加納秀人と組んでライヴをやっているらしい。 「ジョニー・ルイス&チャー」や「ピンク・クラウド」時代の情報詳細については、Charの強力なファンサイトである 「TACTFULL WALRUS」、「Mick's Char」及び「Psychedelicions (Blackie's Homepage)」(「STUDIO-G LINK」)を参照のこと。
|
Writer/Editor | 高崎勇輝 |
Special Thanks to |
(注)
記載内容に誤りがある場合は管理人であるところの高崎勇輝(studio-g@sound.jp)までご連絡下さい。
又はご本人及び関係者の方々が掲載を希望されない記述があった場合も、までご連絡頂ければ謹んで訂正もしくは削除させて頂きます。
©2004 BY STUDIO-G ALL RIGHTS RESERVED