井上 堯之 (いのうえ たかゆき)

楽器 Guitars
コメント 元スパイダース、井上堯之バンドのギタリスト。 最初は井上高之と表記されており、その後井上孝之、そして井上堯之となった。

ミッキー吉野とはスパイダース時代からの付き合いで、69年春には幻のセッションと呼ばれるセッションを行っている他、75年にはミッキー吉野グループと井上堯之バンドのジョイントで沢田研二のツアーのバックをやった(「比叡山コンサート」としてリリース)。また、ミッキーが音楽を担当したNHKの「男たちの旅路」の仕事は井上の紹介によるもの。

41年3月15日生。兵庫県神戸市出身。A型。

16才の時にギターを始める。
元々はスリー・ジェットという3人組のヴォーカル・グループで「ザ・スパイダース」(または「田辺昭知とスパイダース」)と活動していた(当時のギターは後にキーボーディストになった大野克夫)。 その後スパイダースの正式メンバーとしてギターに転向、65年のスパイダースのレコード・デビュー時にはリード・ギタリストとなっていた。

スパイダースはGS(グループ・サウンズ)の人気バンドとして活躍し、イギリスでのライヴやTV出演(「レディ・ステディ・ゴー」)なども行った。

スパイダース解散後の71年に沢田研二、萩原健一、岸辺修三、大野克夫、大口ヒロシらと「PYG」を結成、アルバム2枚、シングル4枚をリリースする。
同バンドはショーケンを除く形でジュリーのバック・バンドとして「井上堯之グループ」となり、やがて「井上堯之バンド」と呼ばれる様になる。

井上堯之バンドは単独でも「太陽にほえろ!」、「傷だらけの天使」、「悪魔のようなあいつ」、「寺内貫太郎一家」等人気ドラマのサウンドトラックを担当し、その名を高める。
ジュリーのバックと並行して75年には「井上堯之ウォーターバンド」の名前でコンサート活動を開始、76年にはソロ・アルバム「ウォーター・マインド」をリリースする。


ジュリーの全盛期において活動を共にした井上堯之バンドだが、80年1月に解散し、「柳ジョージとバンド・オブ・ナイト」、ショーケンのバック・バンドの「アンドレ・マルロー・バンド」(同バンドにはミッキーも在籍していたことがある)、「ポール・ジャクソン&井上堯之BAD BOYS BLUES BAND」、「宇崎竜童&R.Uコネクションwith井上堯之」を経て、99年にはかまやつひろし、堺正章と「SANS FILTRE」を結成、同年の紅白歌合戦への出場(ちなみにゴダイゴも出場した)し、その後もコンサートを行い、2001年にはイギリスでのライヴも行う。 ソロでも活躍中の大御所ギタリスト。最近はミッキーとのジョイントコンサートが増えてきている。

2004年2月27日(金)には東京厚生年金会館 大ホール(東京・新宿)で井上堯之バンド名義でのコンサートを行った。

井上堯之バンドの活動詳細については、ジュリーのファン・サイトであるKeiko.Nさんの「Julie Mania Forver」(「STUDIO-G LINK」) にある「KUSUさんレポ」に掲載されているFUCK-U-さんの「井上堯之バンドBIOGRAPHY」を参照のこと(同リンクについてはKeiko.Nさんの、内容引用についてはFUCK-U-だ!さんのご了解を得ています。気合の入ったページです)。 

 

Writer/Editor 高崎勇輝
Special Thanks to 「日本ロック紀GS編」黒沢進氏著(シンコー・ミュージック刊)
[日本ロック大系」(白夜書房刊)
「ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ポップス(1955〜1970)黒沢進監修(シンコー・ミュージック刊)
「ロック画報07」(BI PRESS刊)
「Julie Mania Forver」(「STUDIO-G LINK」) 及び「KUSUさんレポ」

(注) 記載内容に誤りがある場合は管理人であるところの高崎勇輝(studio-g@sound.jp)までご連絡下さい。
又はご本人及び関係者の方々が掲載を希望されない記述があった場合も、までご連絡頂ければ謹んで訂正もしくは削除させて頂きます。

ギタリスト名鑑へ

日本のミュージシャン名鑑へ

STUDIO-GIIIへ

STUDIO-Gへ

STUDIO-GCへ

©2004 BY STUDIO-G   ALL RIGHTS RESERVED