田中清司 (たなか せいじ)

楽器 Drums
コメント ドラマー。スタジオ・ミュージシャンとして、ジャズ・ロック・フォークにまたがり活躍した。

48年1月1日生。
ジャズ喫茶でのジャニーズのバック・バンドで本格的に活動を開始(このバンドは(初代)ジャニーズ・ジュニアと言われていたらしい^^)、「稲恒次郎とソウルメディア」、「ジュニア・ボーイズ」(ジ・アルファと改名、後に「グリーン・グラス」となる)などに在籍、70年に「グリーン・グラス」でシングル「一人でいるよりあなたがいれば(c/w ベイビー・アイ・ニード・ユー)」をリリースする。

「グリーン・グラス」解散後は、スタジオ・ミュージシャンとして活躍する。

72年には「赤い鳥」の「パーティー」、「RCサクセション」の「楽しい夕べに」、更にはピコの「abc」といったレコーディングに参加した。
73年には吉田拓郎のバックバンド、また「頭脳警察」の「誕生」や「仮面劇のヒーローを告訴しろ」の他、「かぐや姫」や「風」のバックも担当する。

72年頃には一時的に柳田ヒロ、長岡和幸、武部秀明、MAOらと「サンズ・オブ・サン」というバンドを組みビクターからアルバム「海賊キッドの冒険」 をリリースした。

74年6月に当時沢田研二のバックバンドを務めていた「井上尭之バンド」原田裕臣の後任として参加したが、75年半ばには脱退している。
在籍時には沢田研二のサポートの他、「傷だらけの天使」等のサントラで演奏している。

ジュリーの「時の過ぎゆくままに」は井上バンドとしてのレコーディング。その後も「憎みきれないろくでなし」等のレコーディングに参加している。
77年には速水清司らと共に大野克夫のソロ・アルバム「Free Ways」にも参加、ラガー(渡辺徹^^)以降の「太陽にほえろ!」のサントラを担当した「大野克夫バンド」にも在籍した。 90年代後半 からの「名探偵コナン 」の一連のサントラでも大野克夫バンドの一員として田中の名前を見ることが出来る。 
2004年のNHK「思い出のメロディー」で「レッツゴーヤング同窓会」という企画があり、その回に大野克夫バンドも出演している。

80年の萩原健一のツアーにはバックバンド(DONJUAN ROCK'N ROLL BAND)として原田裕臣と共にツインドラムで参加、81年1月の最後の「日劇ウェスタンカーニバル」出演まで行動を共にしている。 85年7月27日に吉田拓郎を中心に開かれた大ジョイント・コンサート「ONE LAST NIGHT IN つま恋」には新六文銭(小室等、柳田ヒロ、田中清司、後藤次利) として出演、拓郎のバックなどをつとめていた。

自身のレコーディングとしては、また「田中清司とザ・サウンド・スピリッツ/石松元とサウンド・ソウル」で「ドラム・ロック・ブラス幻想の世界」というアルバムをリリースしている。

また80年頃に秋山一将、坂本龍一、後藤次利と四人で「New York」というアルバムを出している。

他には「DRUM AND DRUM」(Dr: 田畑貞一/田中清司/ 中村敬幸 編曲:前田憲男 )や、宮間利之とニュー・ハード+田中清司とそのグループでチェイスの「黒い炎」をカバーしたのがあるらしい。

 

Writer/Editor 高崎勇輝
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