ゴダイゴ・ホーンズを巡る考察

ゴダイゴのサウンドを語る上で欠かせないものとして、ホーンズが挙げられる。 ホーンズのメンバー構成やその遍歴は、「ゴダイゴ・ホーンズ」の項を参照して頂くとして、ここではホーンズのゴダイゴ・サウンドにおける役割について 採り上げてみた。
 


ゴダイゴ・ホーンズを語る上でのポイントは次の点である。 「何故、ロック・バンドのバックにホーンズを入れなければならなかったのか?」 現在、プロのバンドを見てもバックにホーン・セクションを従えているのは少ない。 普通はキーボーディストを追加したり、サイド・ギターが入ったりするだろうし、せいぜいソロイストとしてサックスを加える程度である。 自前でホーン・セクションを持つのは、通常ラテン系もしくはファンク系のバンドである。ゴダイゴのサウンドの特徴としてラテンやファンクを挙げる人はほとんどいないだろう。

ゴダイゴ・ホーンズに批判的な見方をすると、次の3つが挙げられる。
1.70年代後半はTOTOに代表されるピアノ・オルガンによるバッキングとシンセによる色彩効果の組み合わせが登場してきた時期である。この時期に敢えてブラスでもないだろうということがひとつ。
2.「マジック・カプセル」等で(そもそもスコアが難しいことなどもあるかもしれないが)音程が不安定な部分があること。
3.「ア・グッド・ディ」や「アフター・ザ・レイン」等管楽器がフィーチュアされている曲は、サウンドのバラエティという言い方もあるものの、むしろゴダイゴのロック・バンドとしての焦点をぼかしてしまったと思われること。

では、何故ミッキー吉野の選択がゴダイゴ・ホーンズだったのか。 ポイントは次の3つであると思う。
 

ポイント1

メンバーのバックグラウンドの問題
ミッキー吉野の経歴を見てみると、60年代末のザ・ゴールデン・カップス在籍時には日野皓正や「宮間利之とニューハード」のメンバーとセッションを重ねている。これは、当時の「新しい」流れとして「ブラッド・スウェット&ティアーズ」や「シカゴ」に代表される「ブラス・ロック」というものがあったからと推測される。 60年代後半〜70年代前半はロックが試行錯誤しながらサウンドのスタイルを多様化させていた時期だが、そのひとつがブラス・ロックであった。バンドの構成要素としては、ギター、ベース、ドラム+キーボードだったが、そこに本来ジャズのエリアにいたホーン・セクションを加えることにより、今までにない響きを生み出そうとしていたのである。 しかも、ミッキーはバークリーでアレンジを学び、当時日本で最も進んだブラスのアレンジが出来た一人である。バンドにキーボーディストを足して自分のピアノもしくはオルガンのコピーをさせるよりは、ホーンを入れてもっと斬新な響きにしたい、というのは自然なことだったのではないだろうか。 

多くのロック・バンドはバンドのアレンジは出来ても生ストリングスやホーンのアレンジは出来ず、専門のアレンジャーに委託する。ビートルズにとってのジョージ・マーティンがそうだし、サザン・オールスターズも新田一郎等を起用していた。しかし、ミッキーはソング・ライターよりはアレンジャーとして「ゴダイゴ・サウンド」を構成することに重点を置いており、「組曲:威風堂々」や「In You勧進帳」の様にメロディ主体というよりはホーン・アレンジがメインのサウンドを作ることは当たり前だったのだろう。

また、01年5月27日のBS FUJI「ずっと好きな歌〜Tribute to the great music」で明かされているようにタケカワユキヒデのフェイバリット・アーティストのひとつに初期のシカゴが挙げられており、タケカワにも違和感のない話だったのかもしれない。
 

ポイント2

機材・プレーヤーの問題
今でこそ、デジタル・シンセの発達でライヴ等のブラス・セクションのほとんどはキーボードで行われている。上でも触れた通りラテンやファンク系の様によほどホーンが重要な位置を占めるサウンドであるか、もしくはよほど資金に余裕のあるアーティストでない限りはそうだろう。シンセで代替することの難しいソロ楽器としてのサックス奏者のみに留まるのが普通である。

しかし70年代末はまだデジタル・シンセは登場しておらず、アナログ・シンセでもようやくポリフォニック(一度に複数の音が出せる)になったばかりである。 ポイント1と関連したことであるがシンセの表現の幅がよほど広いのであればともかく、ピアノやオルガンがメインであれば「ミッキー 吉野のコピー」を一人作るだけである。 ミッキーは某インタビューで語っていたが、当時ミッキーとグルーヴ感を共有出来るキーボード・プレーヤーは思い当たらなかったらしい。 このため、2ndキーボーディストを入れるということは当時実現しなかった。

ゴダイゴのサウンドは、きらびやかなシンセが耳につくかもしれないが、実はそのリズム構築におけるミッキーのプレイがポイントになっている。 アルバム「デッド・エンド」の収録曲しかり、「ナウ・ユア・デイズ」や「レッド・シャポー」等もまたしかりである。 ミッキーの生ピアノやクラビがリズムのノリを出す上に、浅野孝己のシャープなギターのカッティングやオブリガードが重なることで、あのカッコ良さが生まれている。 これを考えると、当時ツイン・ギターとする必要性 もあまりなかったのだろう。

そこで、ゴダイゴのライヴ・サウンドに厚みを出すためのホーンズというアイディアが生まれてきたのである。
 

ポイント3

タケカワユキヒデの声との相性
ゴダイゴのライヴ盤を聴いていて感じることは、ギターやオルガンの音のバランスの小ささである。 しかし、これについてミッキー吉野はインタビューで「ギターやオルガンの音域はタケのヴォーカルとぶつかりやすく、音量を上げるとヴォーカルが埋もれてしまう。タケの歌を生かすのがゴダイゴのコンセプトのひとつだったので、あまり音は大きく出来なかった。」という趣旨のことを語っている。特に浅野孝己のギターのトーンはタケカワの声とぶつかりやすかったらしい。

実はタケカワ本人もこれについて同じことを語っている。「タッタ君あらわる」収録の「悪声の時代」で自分の声がマイクに乗りにくく、ともすれば(特にライヴやTVで)バックの音に埋もれてしまうことを語っているし、99年再結成の時にも「昔は声を張り上げないと聞こえなかったが、最近は機材やイコライジング技術の進歩で囁く様に歌っても声が聞こえる様になった」という趣旨のことを言っていた。

ミッキーとしては、これを解決する策のひとつとして楽器の種類を増やすことを考えたらしい。つまり、ギターとオルガンの音を大きくするだけではヴォーカルが埋もれてしまう。しかし音域の異なるトランペットやトロンボーンなどを入れて音の厚みは増す場合、これが避けられるというもことである。 これは80年代半ばの「KUWATA BAND」のライヴ・ビデオを見ると実感することが出来る。 アルバム収録曲はかなり強力なバンド・サウンドに仕上げてあり、音的にはすごくカッコ良い。桑田圭祐のシャウトもパワフルなのだが、歌詞はもちろんメロディ・ラインもあまり耳に残らない。これはヴォーカルがギターやキーボードの音と同列となり、浮かび上がってこないからである。 ではシングル・ヒットした「BAN BAN BAN」や「スキップ・ビート」はどうか。ライヴでこの曲が始まると、あきらかにこの部分だけサウンドが違うのである。 シンセは空間を感じさせるバッキングに徹し、ギターもミュートしたシングル・ノートや、クリーン・トーンのコード・カッティングなど、所謂「サザンの音」になっているのだ。

つまりヴォーカルを生かすために楽器の種類を増やした、というのがゴダイゴ・ホーンズの大きな要素のひとつなのである。
 

これらを総合すると、ホーン・アレンジの必然性というのが見えてくる。先端の「洋楽」のサウンドを「頂く」のであれば、80年頃にはツイン・キーボードでTOTO風のことをやっていたのかもしれないが、自身のバックグランドから試行錯誤しながら何かを「生み出す」のであれば、あの時のホーンズは必然のひとつだったのだろう。

そして21世紀に入り、ミッキー吉野と岸本ひろしは、ホーンズをフィーチュアした映画「スウィング・ガールズ」に携わることになるのである。
 

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