ゴダイゴ・ホーンズを巡る考察 |
ゴダイゴのサウンドを語る上で欠かせないものとして、ホーンズが挙げられる。
ホーンズのメンバー構成やその遍歴は、「ゴダイゴ・ホーンズ」の項を参照して頂くとして、ここではホーンズのゴダイゴ・サウンドにおける役割について
採り上げてみた。
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ゴダイゴ・ホーンズに批判的な見方をすると、次の3つが挙げられる。
では、何故ミッキー吉野の選択がゴダイゴ・ホーンズだったのか。 ポイントは次の3つであると思う。 |
ポイント1 |
メンバーのバックグラウンドの問題 多くのロック・バンドはバンドのアレンジは出来ても生ストリングスやホーンのアレンジは出来ず、専門のアレンジャーに委託する。ビートルズにとってのジョージ・マーティンがそうだし、サザン・オールスターズも新田一郎等を起用していた。しかし、ミッキーはソング・ライターよりはアレンジャーとして「ゴダイゴ・サウンド」を構成することに重点を置いており、「組曲:威風堂々」や「In You勧進帳」の様にメロディ主体というよりはホーン・アレンジがメインのサウンドを作ることは当たり前だったのだろう。 また、01年5月27日のBS FUJI「ずっと好きな歌〜Tribute to the
great
music」で明かされているようにタケカワユキヒデのフェイバリット・アーティストのひとつに初期のシカゴが挙げられており、タケカワにも違和感のない話だったのかもしれない。
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ポイント2 |
機材・プレーヤーの問題
しかし70年代末はまだデジタル・シンセは登場しておらず、アナログ・シンセでもようやくポリフォニック(一度に複数の音が出せる)になったばかりである。 ポイント1と関連したことであるがシンセの表現の幅がよほど広いのであればともかく、ピアノやオルガンがメインであれば「ミッキー 吉野のコピー」を一人作るだけである。 ミッキーは某インタビューで語っていたが、当時ミッキーとグルーヴ感を共有出来るキーボード・プレーヤーは思い当たらなかったらしい。 このため、2ndキーボーディストを入れるということは当時実現しなかった。 ゴダイゴのサウンドは、きらびやかなシンセが耳につくかもしれないが、実はそのリズム構築におけるミッキーのプレイがポイントになっている。 アルバム「デッド・エンド」の収録曲しかり、「ナウ・ユア・デイズ」や「レッド・シャポー」等もまたしかりである。 ミッキーの生ピアノやクラビがリズムのノリを出す上に、浅野孝己のシャープなギターのカッティングやオブリガードが重なることで、あのカッコ良さが生まれている。 これを考えると、当時ツイン・ギターとする必要性 もあまりなかったのだろう。
そこで、ゴダイゴのライヴ・サウンドに厚みを出すためのホーンズというアイディアが生まれてきたのである。 |
ポイント3 |
タケカワユキヒデの声との相性 実はタケカワ本人もこれについて同じことを語っている。「タッタ君あらわる」収録の「悪声の時代」で自分の声がマイクに乗りにくく、ともすれば(特にライヴやTVで)バックの音に埋もれてしまうことを語っているし、99年再結成の時にも「昔は声を張り上げないと聞こえなかったが、最近は機材やイコライジング技術の進歩で囁く様に歌っても声が聞こえる様になった」という趣旨のことを言っていた。 ミッキーとしては、これを解決する策のひとつとして楽器の種類を増やすことを考えたらしい。つまり、ギターとオルガンの音を大きくするだけではヴォーカルが埋もれてしまう。しかし音域の異なるトランペットやトロンボーンなどを入れて音の厚みは増す場合、これが避けられるというもことである。 これは80年代半ばの「KUWATA BAND」のライヴ・ビデオを見ると実感することが出来る。 アルバム収録曲はかなり強力なバンド・サウンドに仕上げてあり、音的にはすごくカッコ良い。桑田圭祐のシャウトもパワフルなのだが、歌詞はもちろんメロディ・ラインもあまり耳に残らない。これはヴォーカルがギターやキーボードの音と同列となり、浮かび上がってこないからである。 ではシングル・ヒットした「BAN BAN BAN」や「スキップ・ビート」はどうか。ライヴでこの曲が始まると、あきらかにこの部分だけサウンドが違うのである。 シンセは空間を感じさせるバッキングに徹し、ギターもミュートしたシングル・ノートや、クリーン・トーンのコード・カッティングなど、所謂「サザンの音」になっているのだ。
つまりヴォーカルを生かすために楽器の種類を増やした、というのがゴダイゴ・ホーンズの大きな要素のひとつなのである。 |
これらを総合すると、ホーン・アレンジの必然性というのが見えてくる。先端の「洋楽」のサウンドを「頂く」のであれば、80年頃にはツイン・キーボードでTOTO風のことをやっていたのかもしれないが、自身のバックグランドから試行錯誤しながら何かを「生み出す」のであれば、あの時のホーンズは必然のひとつだったのだろう。
そして21世紀に入り、ミッキー吉野と岸本ひろしは、ホーンズをフィーチュアした映画「スウィング・ガールズ」に携わることになるのである。 |