The Golden Cups(ザ・ゴールデン・カップス)

60年代後半〜70年初頭にかけて活動したグループ・サウンズを代表する実力派バンド。

66年12月、横浜・本牧のクラブ 「ゴールデン・カップ」を中心に活動を始めたバンドで、当時は「(平尾時宗と)グループ・アンド・アイ」という名前だった。 結成当時のメンバーはほとんどハーフと言われていた(実際はそうではない^^)。 日本人ばなれした感覚とテクでR&Bを演奏しており、玄人筋にはたちまち知られる様になる。67年6月、バンド名を「ザ・ゴールデン・カップス」に改め東芝/キャピトルよりメジャー・デビュー。 シングルではGS色に合わせた「いとしのジザベル」(公称18万枚のセールス)や「長い髪の少女」(公称35万枚のセールス)を発表し、人気バンドとなる。 シングルは営業用と割り切り、ライヴやアルバムでは本来の音楽志向に合わせてゼム、ヤ−ドバーズ、ジェームス・ブラウン、オーティス・レディング等R&Bのカバーやオリジナルを演奏、グループサウンズの中でも通向けのバンドとして現在に至るまで独自の評価を得ている。 チャーも昔は一応カップスのファンだったと語っており、また難波弘之(ex. Sense of Wonder etc.)、松任谷由実、大貫妙子、矢野顕子等も皆GSを語る時にはカップスの名前を挙げている。
71年末には解散を宣言、契約の関係で72年1月に沖縄でライヴを行い、これが最後のステージとなる。

73〜74年頃、デイヴ平尾を中心にクラブ等で営業的に「(ニュー)ゴールデン・カップス」として演奏していたこともあるが、レコーディングには至っていない。

ミッキー吉野は2枚目のアルバム「ザ・ゴールデン・カップス・アルバム第2集」から参加、70年末(「フィフス・ジェネレーション」)まで参加している。

カップスにはデイヴ平尾(Vo)、エディ藩(G)、ルイズルイス加部(B,G)、ケネス伊東(G,B)、ミッキー吉野(Key)、マモル・マヌー(Dr)、林恵文(B)、アイ高野(Dr)、ジョージ柳(B)、ジョン山崎(Key)が在籍していた。メンバーのその後の活動は、それぞれのバイオグラフィーを参照のこと。

バンドの母体となった「グループ・アンド・アイ」の前身の一つとも言える「テイク・ファイヴ」(ルイズルイスやケネスが在籍)にはゴダイゴのプロデューサーとなるジョニー野村も在籍しており、エディから「グループ〜」のドラムスに誘われたこともある。 ジョニー野村とミッキー吉野の交流もこの時期に始まっている。

.

TOPへ (c) 2005 by STUDIO-G All rights reserved 無断転載禁止

掲載記事に問題がある場合は、管理人までご連絡下さい。