原田裕臣

主な担当楽器 Drums
生年月日・出身 1944年2月14日 神奈川県川崎市出身。
本名 未確認
ニックネーム ユージン。

第4次〜5次ミッキー吉野グループのドラマー。
ゴダイゴのファースト・アルバム「ゴダイゴ(組曲:新創世紀)」の大半のレコーディングに参加している。
 

44年2月14日生まれ。 川崎市出身。 裕臣と書く場合と、祐臣と書く場合がある。
80年代からのクレジットが祐臣になっていることが多いので、改名したのかもしれない。

62年に「菅野邦彦(p)トリオ」でデビュー、63年「北村英治(cl.)クインテット」に参加する。 65年には 「ミッキー・カーチスとヴァンガーズ」に参加、67年2月まで東南アジア各都市のヒルトン・ホテルで演奏活動をする。 67年は自分のリーダー・グループで活動するが、69年に当時ヨーロッパで活動(放浪)していた「ミッキー・カーチス アンド ザ・サムライズ」にに合流、ロンドンでシングル「グッド・モーニング・スターシャイン(c/w 金閣寺)をレコーディング、69年にリリースする。 70年半ばに同バンドは貧困の果てに帰国、バンド名を「サムライ」として活動を継続した(メンバーは ミッキー・カーチス(vo.)、山内(テツ)哲夫(b)、原田裕臣(Dr)、ジョン・レッドフォーン(Key)、ジョー・ダーネット(g))。 サムライはシングル「ヴィジョン(c/w セイム・オールド・リーズン)」、「ミッキーと歌おう ハレ・クリシュナ(c/w 誰だった)」、アルバム「河童」、「侍」を残して71年に解散する。

この頃原田裕臣は山内テツと共に「ガロ」の「ファースト」(ミッキー・カーチス プロデュース)や瀬川洋の「ピエロ」、セッション・アルバム「フレンズ」、小坂忠「ありがとう」等のレコーディングに参加している。原田自身はガロの2・4枚目等にも参加している。 変わったところでは、73年頃ソロ活動を始めた大瀧詠一が「ごまのはえ」の前に最初にバックバンドとしたのが、ドラムが原田、ベースがアラン・メリル、キーボードが大野克夫というメンバーで、大瀧は後に「僕はあの人たちとやるのは初めての経験でして、僕の中では変わっ たセッションの一つとなっております。」と語っている。

71年9月、大口広司の後任として「PYG」に参加、以降のPYG名義の沢田研二等のシングルに参加する。 PYGはこの後自然消滅的に「井上尭之バンド」となる。 同バンドは沢田研二のバックの他に、麻生レミ、かまやつひろしのバックや、スタジオ・ミュージシャンとしての活動・ロック・フェスティバル等への単独の出演を行う。 中でもTVドラマ「太陽にほえろ!」のサントラは有名。 72年及び76年にリリースされた山内テツのソロアルバムには、当然参加している。

74年6月、井上堯之バンドを脱退、75年にミッキー吉野グループに参加、当時同グループが参加していたライヴやセッション等でドラムを担当している。 ゴダイゴとしては「ゴダイゴ(新創世紀)」収録曲の中、ドラムの入っていない「憩いのひととき」及び浅野良治が叩いている「想い出を君に託そう」と「僕のサラダガール」以外の全ての曲についてドラムを担当しているが、同アルバムの作成中(76年12月)に脱退しているため、ゴダイゴのメンバーとしてはクレジットされていない(ゲスト・ミュージシャンの扱い)。

また「男たちの旅路」の初期TV版テーマ曲でドラムを叩いているのも原田である(レコードとして発売されているものは、トミー・スナイダーのドラムでレコーディングしなおしたもの)。 その他(当時タケカワユキヒデ名義でリリースされた)シングルの「アンクル・ジョン」、「スマイル」は彼がミッキー吉野グループに在籍していた時期の録音ではあるが、ミッキー吉野の話では原田ではなくスタジオ・ミュージシャンがドラムを叩いているとのこと。 

放送音源としては、75年6月9日にFM東京「DENONライヴコンサート」に「 タケカワユキヒデとミッキー吉野グループ」で参加した時に、原田がドラムを叩いている。

ミッキー吉野は「永遠のオデュッセイア」の中で、「やめた原田裕臣って人とは、一年いっしょにやって、ずいぶんたくさんのことを学んだ。 音楽的にいえば、演奏する前のカウントの大事さとかね、そういうことすごく習った、というか学んだのね。沢田研二のツアーに参加できたのも、彼のおかげだし・・・・そういう意味で、すごい人に会えてよかったと思ってるの。(略)」と語っている。 未だに井上バンド等での彼のプレイを懐かしがる人がいる玄人筋に評価の高いドラマーである。

ゴダイゴ脱退の理由は明らかではない。スティーヴ・フォックスはその著書「Who am I ?」で「何か行き違いがあってやめてしまった」とのみ語っている。 

脱退後はスタジオ・ミュージシャンとして活動していたと思われる。 「ファー・イースト・ファミリー・バンド」や「ミッキー・カーティスとポーカーフェイス」に参加していたという情報もある。
Hound Dogの初期のアルバムにはSound Advisorとしてクレジットされている。 又、80年の東映映画 「影の軍団 服部半蔵」(主演:山村聡他)で音楽を担当している。 同じく80年にはショーケン(萩原健一)のバック・バンド(Donjuan Rock'n Roll Band)に参加、田中清司とツインドラムを組み、同年のツアー及び81年の最後の日劇ウェスタンカーニバルで演奏する。 その後同バンドでのツインドラムのパートナーが大口広司に替わるが、原田は82年のツアーや83年の武道館でも叩いている。

82年には「日出処の天子」のイメージ・レコード(作曲:伊藤詳)に伊藤詳(Synthesizer)、石川恵樹(Guitar/Bass)、篠原信彦(Piano)、木村昇(Sax, Flute)、チェピート(Bass)と共に、ドラム・パーカッション・ウインドチャイムなどでその名前を見ることが出来る。

86年〜88年半ばまではチト河内とツインドラムで沢田研二のバックバンド「CO-CoLO」に参加、91年の加川良のアルバム「ONE」にもクレジットされている。

現在はパーカッショニストに転向しているらしい。

 

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