浅野孝己(已)

主な担当楽器 Guitars, Vocal
生年月日・出身 1951年6月1日 東京都豊島区(池袋)出身。
本名 浅野 孝(あさの たかみ)。
ニックネーム 浅野氏。

ゴダイゴのギタリスト。

小学生の時は合唱団に在籍、6年生の時にガット・ギターを購入、中学に入ってからエレキ・ギターを始める。ベンチャーズに始まり、次第にリバプール・サウンドへとスタイルが移っていく。世代的にエリック・クラプトンやジェフ・ベックの影響が大きいギタリストである。

14才の時にショーケン(萩原健一)と知り合いその縁で「ジュニア・テンプターズ」を組み、大宮のディスコなどに出演する。「テンプターズ」のメンバーにならないかという話もあったとのこと。その後新宿のライヴハウス等によく出るようになる。 「ジュニア・テンプターズ」解散後は当時「モップス」の鈴木ヒロミツの弟(ミキオ)と「ジュニア・モップス」を結成。 高校を1年で中退する。

「ジュニア・モップス」解散後はバンドを10つ程転々とした末に、68年に「エム」に参加、同バンドはそのままポストGS(グループ・サウンズ)の流れとして発生したいわゆるニュー・ロックのバンドの一つである「エム(The M)」に移行する。 またこの時期に元ビーバーズの成田賢、平井正之と「エモーション」というバンドを組んで新宿のディスコ「サンダーバード」等によく出演していた。 エムは72年にアルバム「ザ・エム」とシングル「時は今ここに」を1枚ずつ発表し、73年に解散する。

エム解散後は、しばらくスタジオ・ミュージシャンをやった後ネオGS/アイドルグループのひとつである「チャコとヘルスエンジェル」に参加する。 74年にバークレーから帰国したミッキー吉野は、「ザ・ゴールデン・カップス」在籍時から知り合いだった浅野氏にグループ参加を要請するが、浅野氏はチャコヘル在籍を理由にこれを辞退する。しかし75年のチャコヘル解散により、ミッキー吉野グループに参加、そのままゴダイゴのオリジナル・メンバーとなる。  チャコヘルの解散は75年4月29日だが、これに先立ち4月25日はタケカワユキヒデの渋谷公開堂でのコンサートのバック(ミッキー吉野グループ)に参加している。 この時はたった一回のリハで全曲(「組曲:新創世紀」まで!)覚えて、皆を唸らせたというエピソードがある。 

ギター・スタイルは非常に職人的なものを感じさせるプレイである。 ギターソロよりもバッキングのセンスの良さが印象に残る。「釈迦の歌」や「ライティング・マン」でのメロディアスなアルペジオ、「セレブレイション」でのヴォーカルの裏でさりげなくキメるオブリガード等が良い。 ミッキーと共にローランドのアドヴァイザーとしてギター・シンセサイザーGRシリーズの開発に参加し、商品化前に日本で始めてギター・シンセサイザーをレコーディングに使用した(アルバム「デッド・エンド」収録の「イン・ザ・シティ」と「アンダー・アンダーグラウンド」)。
グレコのアドバイザーもやっており、ステージではGOシリーズやブギー等を良く使用していた。他にはギブソンのギターがお気に入りだった様だ。

ゴダイゴ当時はほとんど作曲をしておらず、長いソロや リフよりはナチュラル・オーバドライヴさせた音でのカッティングが多くソロでもあまり音を歪ませないプレイが多い。
代表的なプレイとしては、上に挙げたものの他に、「モンキー・マジック」のキレの良いカッティングや「想い出を君に託そう」のドラマティックなバッキング、「テイキング・オフ!」のテレキャス系(グレコのシンラインらしい)のブライトなトーンを生かしたソロ、そして「アイ・キャント・レット・ゴー」の多彩なトーンのプレイなどがある。 本人は「ゴダイゴ記/Earthmatics」でのジャズっぽいプレイがお気に入りらしい。

ヴォーカルは、コーラス中心で、リードヴォーカルをとった曲はない(チャコヘル時代に1曲プロデューサーにだまされて仮歌のリード・ヴォーカルをレコードに収録されてしまったことがあるが)。 
99年再結成時の自作曲「サイレント」での囁く様なヴォーカルはタケカワユキヒデとユニゾンで歌っているらしい。

アート担当で「視覚的な部分を一手に引き受けている」とのこと。絵や写真等も得意としており、特に写真はプロはだしで、コンサート・パンフやラーフオフ編纂のゴダイゴ写真集「后醍醐」等にも写真を提供している。

ゴダイゴ活動中から80年末位までは、タケカワユキヒデとの親交が深く、ソロ活動はタケカワ+浅野組とミッキー吉野+トミー・スナイダー&吉澤洋治組という組み合わせが多かった。ラジオでもアサタケ・コンビとして、「ゴダイゴ・ウィング」のパーソナリティを担当していた。

タケカワのソロ・アルバム「泥棒日記」や「ドント・ターン・バック」、そしてタケカワが作曲を担当したイメージ・アルバム「超人ロック」や「百億の昼と千億の夜」、「県立地球防衛軍」等当時のタケカワの活動に浅野氏のギターは欠かせなかったと言っても良い。 ゴダイゴ解散後はしばらくタケと一緒に活動し、コンピュータ・ミュージックに傾倒していた。 ソロ名義のアルバムはないが、TVドラマ「誇りの報酬」のサントラをタケカワと共同制作しており、インストの曲を作曲した。 またゲームソフトの音楽は(「Chase HQ」等)かなり作成している。

90年代に入ってからは、ミッキー吉野との活動が多く共に「ゴダイゴ記/Earthmatics」を発表した。 また音楽専門学校(東京スクール・オブ・ミュージック専問学校)で副校長を務め、ギターやコンピュータ・ミュージックを教えている。 最近の活動としては、スティーヴ・フォックスとの「T.P.O.」/アイ高野とのユニットに加え自己のプロジェクト「T.A.G.C」を始動、ミニアルバム「T.A.G.C 1st」をリリースした。 レッスンとしてはWebでのギター教室といった試みや、ギター/音楽ソフトの教則ビデオの発売、またKAORU等新進アーティストのプロデュースや舞台「鹿鳴館」の音楽担当等、幅広い分野で活動している。 

現在は「T.A.G.C」での活動をメインにしている。

06年のゴダイゴ再始動にも参加している。

名前の「たかみ」は、本来「孝已」と書くのが正しいが、出版物等では「孝巳」と書かれることも多く本人も特段訂正しなかったため、孝巳が一番人口に膾炙している。 本サイトでは「孝己」で表記している。

ゴダイゴのファースト・アルバム「ゴダイゴ(新創世紀)」でドラムを叩いている浅野良治(MarkIIのメンバー)は実弟である。

 

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