GODIEGO CHRONICLE 1971〜1974
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日付 |
ゴダイゴを巡るイベント |
その他の音楽イベント |
1971 | |||
1/10 | カップス、ミッキー最後の参加アルバム「フィフス・ジェネレーション」リリース。 | ||
1/12 | 原田裕臣、「ミッキー・カーティス&サムライ」のメンバーとして、山内哲夫らと共に東京・ビクター・スタジオで「河童」のレコーディング。 | ||
1/18 | 原田裕臣、「ミッキー・カーティス&サムライ」のメンバーとして、山内哲夫らと共に東京・ビクター・スタジオで「河童」のレコーディング。 | ||
1/19 | 原田裕臣、「ミッキー・カーティス&サムライ」のメンバーとして、山内哲夫らと共に東京・ビクター・スタジオで「河童」のレコーディング。 | ||
1/21 | 原田裕臣、「ミッキー・カーティス&サムライ」のメンバーとして、山内哲夫らと共に東京・ビクター・スタジオで「河童」のレコーディング。 | ||
1/26 | 原田裕臣、「ミッキー・カーティス&サムライ」のメンバーとして、山内哲夫らと共に東京・ビクター・スタジオで「河童」のレコーディング。 | ||
スティーヴ・フォックスと「サンライズ」結成。米軍キャンプ等で演奏した他、 シングル「ベイビー・ホールド・オン」(c/w 「ミュージック・タウン」)をリリース(ミッキー参加はB面のみ)して解散。 この時期、原田裕臣の参加していたミッキー・カーチス&サムライズも同じステージに登っていた。 | |||
4/3 | エム、東京・日比谷野外音楽堂での「Rock Festival in Hibiya」の初日に出演。 サンライズやサムライズも出演していたのではないかと推測される。 | ||
5月 | エム、川崎労働会館でのイベント「ロック・イン・カワサキ」に出演(共演:ブルース・クリエイション、頭脳警察 他)。 | ||
5/22 | ミッキー・カーティス&サムライズ、東京・日比谷野外音楽堂での「Rock Age 71」に出演。 | ||
6月 | ミッキー吉野渡米。ボストンのバークリー音楽大学へ入学。 | ||
元エモーションの成田賢を中心に、原田裕臣、山内テツ、大野克夫等のセッションで録音した「フレンズ」リリース。 | |||
6/26 | エム及びミッキー・カーティス&サムライズ、日比谷野外音楽堂での「ロック・インヴィテーション vol.2」 に出演。 | ||
7月 | ゴールデン・カップスにミッキーの後任のキーボーディストとしてジョン山崎が参加する(カップスMarkVIII)。 | ||
7/3・4 | ミッキー・カーティス&サムライズ、東京・日比谷野外音楽堂での「セカンド・ロック・フェス・イン・ヒビヤ」に出演。 | ||
7/30 | エム、伊豆大島でのイベント「大島ロックコミューン No.1」 に出演(共演:ブラインド・バード、頭脳警察、ガロ 等)。 | ||
8月 | スティーヴ、母親がアメリカに移住することを決めたため、家族でテキサスに移る。 | ||
「ミッキー・カーティスとサムライズ」解散。原田裕臣は9月に「PYG」に加入する。山内哲夫(テツ)は来日中の「Free」とセッションして意気投合、後にメンバーとなる。 | |||
8/16 | 「PYG」、田園コロシアムでコンサート。ライヴ・アルバム化される。 | ||
8/19 | エム、東京・目黒公開堂での「ロック・インヴィテーション
vol.4」
に出演(共演:ブルース・クリエイション、エスケープ、小坂忠
他)。 |
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8/29 | エム、埼玉・浦和駒場サッカー場での「ウラワ・フリー・コンサート」に出演(共演:ブルース・クリエイション、頭脳警察 他)。 | ||
9月 | 原田裕臣、大口ヒロシの後任として「PYG」に参加(PYGはその後「井上尭之グループ」となる)。 | ||
9/14 | エム、東京・目黒公開堂での「ミラー・イン・ザ・エム4」 に出演(共演:内田裕也、成田賢、DEW 他)。 | ||
9/18 | エム、東京・日比谷野外音楽堂での「ロック・インヴィテーション vol.5」 に出演(共演:ブルース・クリエイション他)。 | ||
10/17 | エム、東京・日比谷野外音楽堂での「第3回日本語のふぉーくとろっくのコンサート」 に出演(共演:はっぴいえんど、RCサクセション、吉田拓郎、六文銭 他)。 | ||
11/3 | エム及び井上尭之グループ(原田裕臣在籍)、東京・日比谷野外音楽堂での「Right On」 に出演(共演:ブルース・クリエイション、頭脳警察、フライドエッグ 他)。 | ||
11/10 | PYG、ライヴ・アルバム「Free with PYG」リリース(音源は原田加入前)。 | ||
12月 | エム、アルバム「The M」のレコーディング(ビクター・スタジオ)。 | ||
12/18〜26 | 沢田研二、日生劇場でリサイタル。バックは井上尭之グループ、ゼネラル・ポップス、シンガーズ・スリー。 | ||
12/21 | 沢田研二、アルバム「JULIE II」リリース。バックは井上尭之グループ。 | ||
ミッキー、バークリーでピアノと編曲を学ぶ。 アンドリュー・オールダムのプロデュース・バンドに参加、様々なセッションを行う。 | |||
1972 | 1月 | エム唯一のアルバム「The M」リリース。 | |
スティーヴ、ミッキーを追ってバークリーに入学するためボストンに移る。 | |||
1/9 | エム及び井上尭之グループ(原田裕臣在籍)、京都府立体育館での「オールジャパン・ロック・フェス」 に出演(共演:頭脳警察、モップス、ブルース・クリエイション 他)。 | ||
1/10 | エム及び井上尭之グループ(原田裕臣在籍)、東京都立体育館での「オールジャパン・ロック・フェス」 に出演(共演:頭脳警察、モップス、ブルース・クリエイション 他)。 | ||
1/15(土)〜 1/22(土) |
PYG、日劇ウェスタン・カーニバルに出演。 | ||
3/10(金) | 沢田研二、シングル「許されない愛」、ライヴ・アルバム「Sawada Kenji Recital」リリース。バックは井上尭之グループ。 | ||
4月 | PYG、2ndシングル「自由に歩いて愛して」をアメリカリリース用に英語詞で再レコーディング(実際にリリースされたかどうかは不明)。 | ||
タケ、横浜国大から東京外語大に再入学する。タケ日本青年館のコンサートに自己のプロジェクト「TRECNOC」として出演。 | |||
5月 | エム唯一のシングル「時は今ここに」リリース。 | ||
「井上尭之グループ」、NHK歌謡グランドショーにレギュラー出演。吉田拓郎他のバックを務める。 | |||
5/6(土)〜 5/12(金) |
PYG、日劇ウェスタン・カーニバルに出演。 | ||
5/14 | ザ・エム、日比谷の「第4回日本のふぉーくとろっくのコンサート」2日目に出演(共演:ガロ、はっぴいえんど、モップス、かまやつひろし、南高節とかぐや姫 他)。 | ||
6/19 | ザ・エム、東京・杉並公会堂での「Monday Rock」に出演(共演:成毛滋とフライドエッグ)。 | ||
6/25(日) | 沢田研二、シングル「あなただけでいい」リリース。バックは井上尭之グループ(この頃から「井上尭之バンド」とも呼ばれ始める)。 | ||
7/1(土) | 萩原健一、シングル「ブルージーンの子守歌」リリース。バックは井上尭之グループ。 | ||
7/21(金) | NTV「太陽にほえろ!」放送開始。テーマ曲は井上尭之バンド。 | ||
8/21(月) | PYG、3rdシングル「遠いふるさとへ」リリース。 | ||
夏 | ミッキー、ボストンより一時帰国し、日比谷野音のロックフェスティバル等に出演。 | ||
9月 | 井上尭之バンド、西郷輝彦のレコーディングに参加。 | ||
スティーヴ、バークリー音楽院に入学(一年で中退)。 | |||
9/10(日) | 沢田研二、アルバム「JULIE III、今僕は幸せです」リリース。バックは井上尭之バンド、速水清司他。 | ||
9/21(木) | 沢田研二、シングル「死んでもいい」リリース。バックは井上尭之バンド。 | ||
10/17(火)〜 10/22(日) |
沢田研二、日生劇場でリサイタル。バックは井上尭之グループ、ゼネラル・ポップス、ウィルビーズ。 | ||
秋 | ミッキー、スティーヴや元ザ・ブルース・イメージのドラマーのパット・ディペトロや,元ボストンのギタリストのジョー・ラグィダラとバンドを結成し,ボストン中心に仕事を始める。 | ||
11月 | PYG、「遠いふるさとへ」「おもいでの恋」を英語詞でレコーディング。 | 渋谷公会堂「フラッシュ・コンサート」(出演:内田裕也、クリエイション、デイヴ平尾、ジョー山中、エディ藩グループ、ファーラウト等)。 | |
12/1(金) | PYG、4thシングル「初めての涙」リリース。 | ||
12/21(木) | 沢田研二、ライヴ・アルバム「日生リサイタル」リリース。バックは井上尭之グループ他。 | ||
12/31(日) | 沢田研二と井上尭之グループ、NHK「紅白歌合戦」に出演。 | ||
1973 | タケ音楽出版社(米MCAの日本支社:当時の名称はレビュージャパン)と作曲家として専属契約(この時の副社長がジョニー野村)。 | ||
ミッキーとスティーヴ、ボストンで地元バンド「フレッシュ&ブラッド」に参加。 ニューイングランドとニューヨークを中心に活動。 モータウンのオーディションに合格する。 | |||
エム解散(一部メンバーは「イエロー」に移行)。 浅野氏はアイドルGSの「チャコとヘルスエンジェル」に参加、シングル「愛してる愛してない」(c/w「僕のモーターサイクル」)をリリース。 同バンドは1975年の解散までに3枚のオリジナル・アルバム他を発表する。 | |||
9/23 | はっぴいえんど、解散ライヴ。 | ||
11/17 | 慶応大学三田校舎「三田祭前夜祭」 (出演:ウエスト・ロード・ブルース・バンド、エディ藩グループ、頭脳警察、はっぴいえんど)。 | ||
12/30 | 東京ヤクルト・ホールで四人囃子、頭脳警察、あんぜんバンド、エディ藩グループのジョイント・ライヴ(「ロック・イズ・ロック」)。 | ||
1974 | 浅野氏が在籍するチャコとヘルスエンジェル、シングル「恋はジャンプで」(c/w「エデンの悪魔」)、「愛にふるえて」(c/w「かわいい悪魔」)、「夕陽が泣いてる」(c/w「恋するバンビ」)、「嘆きの指輪」(c/w「一人ぼっちの君」)、アルバム「ヤング・アイドル! チャコ」、「ヤング・アイドル! チャコ Vol.2」をリリース。 | ||
浅野良治の在籍する「オレンジ」、NTVの「キンキン・ムッシュのザ・チャレンジ」に応募し優勝、その賞品としてロンドンでレコーディングを行い、RCAビクターよりシングル「翼のない天使」をリリース、デビューする。 その後かまやつひろしのバックバンドとなり、コンサート活動を行う。 | |||
2/16 | 銀座ヤマハホールでカルメンマキ&OZ、久保田真琴&夕焼楽団、エディ藩&オリエント・エクスプレス、四人囃子等が参加したチャリティ・コンサート開催。 | ||
3月 | 「フレッシュ&ブラッド」、バンド名を「ダッチベイカー」に改め、グリ−ンサム・プロダクション(実体はルネッサンス・チャーチ)と契約する。 この頃二人は新バンド「ゴダイゴ」構想を固める。 この時期に同じプロダクションの別バンド(「スピリット・イン・フレッシュ」)にいたトミー・スナイダーと出会う。 | ||
4月 | タケカワユキヒデ、ジョニー野村のプロデュースでソロ・アルバム「走り去るロマン」の録音を開始する。 | ||
6月 | ミッキー吉野、バークリー卒業後日本での活動を決意して帰国する。 ジョニー野村にゴダイゴの構想を話し、MCAと契約することとなる。 しばらくはスタジオ・ミュージシャンとして仕事をする。 | ||
8/8 | 福島県郡山市で行われた「ワンステップ・フェスティバル」(主催:内田裕也)に「ミッキー吉野グループ(第二次)」で出演。 | ||
9月 | 第2次ミッキー吉野グループ、西武劇場(渋谷:現パルコ劇場)での「フラッシュ・コンサート」に出演。 | ||
ミッキー、ジョニー野村の依頼でタケのデビュー・ソロ・アルバム「走り去るロマン」の一部にアレンジとキーボードで参加。 | |||
10月 | 浅野良治の参加していた「オレンジ」、RCAビクターよりデビュー・シングル「翼のない天使」をリリース。 | ||
10/23 | スティーヴ結婚。 | ||
11月 | スティーヴ帰国。「ミッキー吉野グループ(第三次)」でライヴ活動等を開始。 | ||
11/4 | スティーヴと奥さんのミミ、日本へ到着。 | ||
12/31(火) | 第3次ミッキー吉野グループ、西武劇場での「フラッシュ・コンサート」(共演: 頭脳警察、クリエイション、かまやつひろし、四人囃子 スモーキー・メディスン 他)に出演。 |