GODIEGO CHRONICLE 1966〜1970

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1966   浅野孝己(当時15歳)、「テンプターズ」(当時まだレコード・デビュー前)の弟バンドである「ジュニア・テンプターズ」を結成。  
1/31 ミッキー吉野、地元横浜のセミプロバンド「今野英尊&ニューキャメリアス」に参加、ナイトクラブ、ダンスパーティ、コンサート等で演奏活動を始める。     
6月 ミッキー吉野、ギタリストのマーク園田率いるアメリカンスクールのバンド「The Chosen Few」にも参加、横浜の米軍キャンプでの演奏を始める。  
6/30   ビートルズ、武道館ライヴ。
7/16   クリーム結成。
12月 ミッキー吉野、横浜で活動していたブルース系バンド「ミッドナイト・エクスプレス」に参加。 同時期に「フラワー・クリエーション」というバンドも掛け持ちしており、それぞれディスコティックや米軍キャンプで活動していた。 ザ・ゴールデン・カップス、「(平尾時宗とグループ・アンド・アイ」と言う名前で横浜本牧のクラブ「ゴールデン・カップ」のレギュラーとして活動を開始する。当時のメンバーはデイヴ平尾、エディ藩、ケネス伊東、ルイズルイス加部、マモル・マヌー。
    ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンス、デビュー。
1967   ミッキー吉野在籍の「ミッドナイト・エクスプレス」、バンド名が「ベベズ(BeBes)」となる。  
2月 浅野孝己の在籍する「ジュニア・テンプターズ」解散。  
原田裕臣「ミッキー・カーティスとヴァンガーズ」を脱退。その後自己のリーダー・バンドで活動する。  
2/5   タイガース、シングル「僕のマリー」でデビュー。
  浅野孝己、「モップス」(当時まだレコード・デビュー前)の弟バンドである「ジュニア・モップス」を結成。  
6/1   カーナビーツ、シングル「好きさ好きさ好きさ」でレコード・デビュー。
6/15   「グループ・アンド・アイ」、バンド名を「ザ・ゴールデン・カップス」と変えて、シングル「いとしのジザベル」でレコード・デビュー。
10/25   テンプターズ、シングル「忘れ得ぬ君」でレコード・デビュー。
11/15   カップス、シングル「銀色のグラス」リリース。
1968 3/10   カップス、デビュー・アルバム「ザ・ゴールデン・カップス・アルバム」リリース。
4/1   カップス、シングル「長い髪の少女」リリース。35万枚の大ヒットとなり、グループ・サウンズの代表バンドのひとつとなる。
  浅野孝己、高校を中退して本格的にロックの道に進む。 ジュニア・モップスを解散後、10つ位のバンドを転々とする。  
7/8 ミッキー吉野、「ザ・ゴールデン・カップス」にキーボードで参加、メジャーデビュー。 カップスから(ヴィザの関係で)ケネス伊東が脱退、ハワイに戻る。
9/1 カップス、ミッキー加入後の初シングル「愛する君に」(c/w「クールな恋」)リリース。  
9/10 カップス、アルバム「ゴールデン・カップス・アルバム第2集」リリース。  
10/21    ケネス伊東、密かにカップスに復帰。
12/5 カップス、シングル「過ぎ去りし恋」(c/w「午前3時のハプニング」)リリース。   
  浅野孝己、マイナーなグループ・サウンズのバンド「エム」で活動開始。後にニューロックのバンド「エム(The M)」に発展する。   
1969   トミー、シニア・ハイスクール3年の時に「オーフィアス」というバンドに参加する。   
1/1 カップス、TBSラジオ「東芝ヤング・ポップス」でワンマン・ショー。 竹田和夫、「ブルース・クリエイション」を結成。
1/30    ビートルズ、アップル・レコードの屋上でライヴ。
2/1 カップス、シングル「本牧ブルース」(c/w「4グラムの砂」)リリース。   
3/10 カップス、アルバム「ブルース・メッセージ/ゴールデン・カップス・アルバム第3集」リリース。   
井上尭之主宰の幻のセッションに参加する。  
4月 ミッキー吉野、エディ藩とケネス伊東のカップス脱退により同バンドの音楽的主導権を握りアレンジに目覚める。 エディ藩、ケネス伊東がカップスを脱退し、「エディ藩グループ」を結成する。ベースのルイズルイス加部がギターに回り、ミッキーが昔在籍していたフラワー・クリエーション・バンドの林恵文 がベースとして参加する。
4/1   成田賢、平井正之、石間秀樹らが在籍した「ビーヴァーズ」解散。
4/10 カップスが2曲だけ参加したオムニバス・アルバム「四つの明星/なかにし礼作品集」リリース。  
4/21 横浜「ゼン」でカップスのライヴ録音(「スーパー・ライヴ・セッション」として8月にリリース)収録が行われる。  
4/28 日産パックイン・ミュージック ミッドナイト・ジャム・セッション(TBSホール)でゴールデン・カップス、エディ藩グループ、パワーハウスが共演。  
5/1 カップス、シングル「ルシール」(c/w「君は僕に首ったけ〜悲しき叫び」)リリース。  
7/10 カップス、シングル「蝶は飛ばない」(c/w「もう一度人生を」)リリース。  
7/20 渋谷公会堂にてカップスのデビュー2周年を記念したフジテレビ主催の初の単独リサイタルが行われる。この模様はライヴ・アルバム「ザ・ゴールデン・カップス・リサイタル」としてライヴ・アルバム化される。  
8/1 カップス、ライヴ・アルバム「スーパー・ライヴ・セッション」リリース。  
9/22 ミッキー吉野、成毛滋(フライド・エッグ)、小林勝彦(フラワーズ)と第一回「10円コンサート」を企画、日比谷野音でコンサートを行う。このコンサートには 浅野孝己が在籍しているエムも出演していた。 この頃からミッキーと浅野孝己の交流が始まった。  
9/28 カップス、東京厚生年金会館大ホールで開かれた「第一回:日本ロック・フェスティバル」に出演する。  
  日野皓正クインテット・かまやつひろし・井上尭之と共に、「時は今/ジャズとロックの旗揚げコンサート」に参加。  
    竹田和夫率いるブルース・クリエイション(後のクリエイション)、同名タイトルのアルバムでレコード・デビュー。
10/10 カップス、ライヴ・アルバム「ザ・ゴールデン・カップス・リサイタル」リリース。  
10/30 エム、第二回「10円コンサート」に出演。  
11/10 カップス、ベスト・アルバム「長い髪の少女/ゴールデン・カップスのすべて」リリース。  
12月末   ルイズルイス加部、マモル・マヌー、林恵文が第3期カップスから脱退する。
1970   ミッキー吉野、カップスでのロックフェスへの出演やいろいろなセッションに参加・GSの枠から完全に外れる。 作曲活動も始める。 初めて「ミッキー吉野グループ(第一次)」を結成。冨田勲とも親交を持ち、大阪万博の東芝(IHI)館のメインテーマ「グローバル・ビジョンのためのマルチプル・サウンズ」でハモンド・オルガンによるソロ(共演は読売公共楽団 他)の演奏を依頼される。 エディ藩グループとカップスが合体する形でエディ藩、アイ高野、ケネス伊東がカップスに参加、ゴールデン・カップスとなる。
トミー、オーフィアスを脱退、コミューン「ルネッサンス・チャーチ」に入り「スピリット・イン・フレッシュ」というバンドを結成、同名のアルバムをリリースする(75年脱退)。  
1/7 ミッキー吉野グループ、東京厚生年金会館大ホールで1/6・7の二日間に渡って開かれた「第二回:日本ロック・フェスティバル」の2日目に出演する。  
3/14   大阪万博開催(〜9/13)。
4/5 カップスが参加したセッション・ライヴ・アルバム「ロックンロール・ジャム'70」リリース。  
  この頃浅野孝己はエムと並行して成田賢・平井正之らと「エモーション」というバンドを組み、ディスコ「サンダーバード」等で演奏。  
5/9・10 日比谷野音の「第3回日本ロック・フェスティバル」にゴールデン・カップス、エム、エモーション出演。   
5/29 東京・新宿サンダーバードでの「サンダーバード・ロック・フェスティヴァル」にザ・エム、エモーション出演。  
     
  ミッキー吉野、オールナイト・ロックコンサート「ガッツ・イン・ゼロ」の企画に携わる(有楽町ビデオホール/新宿ニューABC等で活動)。  
6/27   日比谷野外音楽堂で初のフォークとロックのジョイント・コンサート「フォーク←→ロック コンサート−夕焼けを待って−」が開催される。
7/5 カップス、シングル「にがい涙」(c/w「悪魔にだまされた」)リリース。  
7/11・12 ザ・エム、東京・深大寺自由広場での「Too Much」に出演。  
8月   樋口晶之、ブルース・クリエイションに参加。
8/18 ミッキー吉野、モップスと共に日比谷野外音楽堂での「アライヴァル・フリー・コンサート」に出演。  
8/27 ミッキー吉野、日比谷野外音楽堂での「第3回10円コンサート」に「ミッキー吉野+エディ藩グループ」で出演。  
  ケネス伊東がヴィザの関係でアメリカに戻ることになり、カップスから脱退する。9月から替わりに元パワーハウスのジョージ柳が参加。
9/6 ザ・エム、日比谷野外音楽堂での内田裕也主催の「100円コンサート」に出演(共演:フラワー・トラヴェリン・バンド、ハプニングス・フォー、頭脳警察)。  
9/16   日比谷野外音楽堂で第一回「日本語のろっくとふぉーくのコンサート」開催(出演:岡林信康、頭脳警察、はっぴいえんど、遠藤賢司等)。
9/18   ジミ・ヘンドリックス没。
9/20 ミッキー吉野、東芝第1・2スタジオでカップスの「ザ・フィフス・ジェネレーション」レコーディング。  
9/27 ザ・エム、東京芸術大学での「Free Rock in Ueno」に出演。  
10/4   ジャニス・ジョプリン没。
10/5 カップス、2枚組ベスト・アルバム「ザ・ゴールデン・カップスのすべて」リリース。  
10/9 ミッキー吉野、東芝第1・2スタジオでカップス「ザ・フィフス・ジェネレーション」レコーディング。  
10/17 ミッキー吉野、東芝第1・2スタジオでカップス「ザ・フィフス・ジェネレーション」レコーディング。  
10/18 エム、ミッキー・カーティスとサムライズ(原田裕臣が在籍)、東京・サンケイホールでの「フラワー・トラヴェリン・バンド渡米記念コンサート」に出演。  
10/22 ミッキー吉野、東芝第1・2スタジオでカップス「ザ・フィフス・ジェネレーション」レコーディング。  
10/23 ミッキー吉野、東芝第1・2スタジオでカップス「ザ・フィフス・ジェネレーション」レコーディング。  
10/27 ミッキー吉野、東芝第1・2スタジオでカップス「ザ・フィフス・ジェネレーション」レコーディング。  
10/30 ミッキー吉野、東芝第1・2スタジオでカップス「ザ・フィフス・ジェネレーション」レコーディング。  
11/1 ミッキー吉野、東芝第1・2スタジオでカップス「ザ・フィフス・ジェネレーション」レコーディング。  
  ミッキー吉野、幻のソロ・アルバムを作成するが、大麻不法所持で逮捕され、すべて流れる。 この時期成毛滋・柳ジョージ・つのだひろと4人でバンドをやる計画も立てていた。ゴールデン・カップスを脱退(最後の仕事は逮捕直前の「ヤング720」)。 ミッキー吉野の脱退により、ゴールデンカップスはキーボードなしの4人編成となる。

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